来し方の回想

「国語」という教科との付き合い

「国語」という教科との付き合い

中学2年生の頃だったと思います。「同胞」という二文字熟語の読みが、国語のテストに出ました。私は、普通の「どうほう」という読み方も知っていたのですが、ほんの少し前に、分かりもしないのに、「ファウスト」の「第二部」の字面を追っていたことがあり、そこに「はらから」というルビが振られていたので、「きっとこの読み方の方が格調が高い読み方なのだろう」などと考え、答案用紙に「はらから」と書いて、バツのついた答案用紙を返されました。先生に抗議したのですが、「あれは当て字だから、絶対に正解にはできない」と、抗議はかたくなに拒否されてしまいました。「おかしい」と思いましたが、一方、「多分、自分をアピールする場ではないところで、必要のないアピールをしたのが、まずかったのだろうな」という考えも、漠然とではありますが、頭の片隅には生じていました。

また、私は、日本の小学校や中学校や高校の「国語」に、とてつもなく大きな特質があることが気になってくるようになっていました。日本の「国語」ですから、授業の素材は、当然「日本語」なのですが、しかし、「国語」という教科には、「日本語」を使ってコミュニケーションのスキルを磨くといった「日本語」を道具として使いこなすことを習熟させる観点が、ほとんど完全に興味や関心の埒外に追いやられており、その代わり、日本の学校教育の中で、「国語」はもっぱら情操教育の一部と位置付けられて、「日本語」は、何よりもまず観賞の対象として取り扱われているということに気が付いたのです。ですから、「日本語」は「国語」という教科の中では、美術や音楽や道徳といった極めて主観的な科目と同じような視点から、吟味されるということになってしまいます。まさにこのことこそが、日本の「国語」という教科、あるいは「国語教育」の特質なのではないかと、いつかは忘れたものの、私は、ある時から薄々感じるようになり、それはやがて確信となっていきました。当初の私の思いからすれば、これは、日本の「国語」という教科の現状に対する批判として芽生えた一つの発見でした。そして、言語に対して、それをコミュニケーションのツールとして使いこなすという問題意識が希薄なことが、多分、「英語」にもネガティブな影響を及ぼし、何年学校で英語を教えてもらっても、まるで役に立たない、といったことになってしまうのではないか、などと漠然と考えていました。

しかし、私の「国語」観は、全く意想外のところで、大活躍してくれました。何と、「国語」のテストにどう取組むべきなのか、という難題に、この私の「国語」観は役立ったのです。私の「国語」という教科に対する考え方からすれば、「国語」が素材としている「日本語」は、芸術や道徳の対象であるわけですから、「絶対にこれが正しい」「これは明らかに間違っている」といった白黒をはっきりさせるような断言のし方は、どちらかと言えば不向きです。好みの問題だったり、イデオロギーの問題だったり、いろいろな要素が絡み合うわけですから、解は多岐なものとならざるを得ません。そこで私は、「『国語』のテストに、客観的な正解はない。そこにあるのは出題者の『思い』だけだ」と考えたらどうだろうと思いつきました。すると、「国語」のテストで高い点をとるには、出題された文章の選ばれ方、設問自体の内容、設問の配列、択一式の設問ならその組み立てなど、「問題」から読み取ることができるあらゆる情報を収集し、分析して、出題者の「これが正解だ」という「思い」を汲み取り、こうして推察された「思い」に依拠し、そしてもう一つ忘れてはならないポイントですが、おのれを虚しくして、解答していくのが、最も「正解」と評価されるものに辿り着く率が高い方法だ、ということになります。少し言い方を変えると、いきなり、「正解」を考えるのでなく、「問題の作り方」からその「問題」が何を「正解」とするつもりで作られたものなのかを探っていく方法が、唯一の解決策ではないかと考えたのです。この「国語」のテストに対する対応策は、実際、とても有効でした。国語のテストの点数は、標本分散が小さいので、びっくりするほど高い偏差値も結構取っていました。「同胞」の2つの読み方のどちらをとるかも、この観点からすれば、迷いようのないことだったわけです。

学生時代、勉強が良くできた方に、中学や高校の時代の「国語」のテストの結果をたずねると、「他の科目の場合と違って、当たりはずれが多かった」といった答えを良く聞きます。私の考えでは、このような方々は、自分の考えで「国語」のテストを解いたので、出題者の考えと合った時に「当たり」となり、合わなかった時に「はずれ」となったのだと思います。こうした方々は、主体性という意味では、むしろ正しい生き方を通しておいでなのだということなのかもしれませんが、私の考えによれば、「国語」という教科との付き合い方という点では、こうした生き方には不向きな面もあるということになるのではないかと思っています。

この私の「国語」観をもって、大学で経済学の勉強をするようになったところ、「えっ!?」と驚くしかないことに出合いました。大学でケインズの「証券投資は、美女選びというよくある新聞の懸賞と同じだ」という考え方を知り、私の国語のテストへの対処のし方は、こうしたケインズの例え話とかなり本質的なところで通じるところがあるのではないかと思ったのです。ケインズは、こんな風に説明しています。

「専門投資家は、百人の写真から最高の美女六人を選ぶといった、ありがちな新聞の懸賞になぞらえることができます。賞をもらえるのは、その投票した人全体の平均的な嗜好に一番近い人を選んだ人物です。したがって、それぞれの参加者は、自分が一番美人だと思う顔を選ぶのではなく、他の参加者たちが良いと思う見込みが高い顔を選ばねばならず…」(雇用、利子、お金の一般理論、ジョン・メナード・ケインズ著、山形浩正訳、講談社学術文庫225ページ)

もちろん、私の国語観は、ケインズの議論と全く同じものではありません。しかし、「自分というものがあっても意味はない、むしろ他者がどう考えているのかを推し測ることこそが意味があることなのだ」というところはほとんど同じなので、悪い気はしませんでした。

この私の「国語」観に関わる話は、弁護士になってある友人を持ってから、また、少し広がりができました。この友人の弁護士は、某有名私大の航空機学科の出身者で、ずいぶん早い時期からパソコンが大好きな人だったのですが、ゲームも大好きで、中でも「信長の野望」や「三国志」といった歴史シミュレーションゲームを始めると、文字通り寝食を忘れてのめり込み、それを「ゴール」と言うのでしょうか、最後には、何時も必ず、最高得点のステージまで到達してしまうのです。どのゲームも征服してしまうので、やはり共通の友人の弁護士が、「どうやるのか?」と思わず質問しました。そこで、返ってきた答えが、「自分がどうやろうか、などという考えは、はなから捨ててかからなければいけない。まず、試行錯誤をして、ゲームを作った人の『どうするとどうなる』という『設計者の考え方』の推定を、徹底的にやる。『設計者の考え方』さえ分れば、それに合致した対応をしていくだけだ。そうすれば、必ずゴールにたどり着ける」というものでした。シミュレーションゲームの場合、「設計者の考え方」と、「国語」の出題者の「思い」とは、同じものであるはすがありません。もちろん、推理のやり方も全然違います。それでも、「シミュレーションゲームの、一つひとつの場面は、どの選択がゴールに至るものか、といった『正解』をゲームをしている人の価値観で見付けようとしても、意味はない。『正解』を知るための唯一の道は、設計者の『ゲームの製作の了簡』を探り当てることである」といった考え方に、発想において、私の「国語」観と一脈通じるところがあるような気がして、とても興味深く思いました。

何といっても「国語」が中心ですが、いくつか、エピソードをまとめてみました。どのエピソードも一つとして同じものはありませんが、共通しているのは、意識して、とりあえず己を捨ててから次を考えることに専念していることです。でも、それだけで良いものなのか。私は、結局、今、「自分そのもの」には、余り強い関心が持てなくなってしまったところがあります。でも、悟りの境地とはまるで違います。「いい年をして、こんなことでいいのか」と反省しきりの毎日です。

以前から気になっていた一節

当職には、年を追う毎に、高名な論攷の掉尾を飾る一節に対するこだわりの気持ちが強くなってきました。それは、以下の通りです。

「こうした文化発展の最後に現れる『末人たち(die letzte Menschen)』にとっては、次の言葉が真理となるのではなかろうか。『精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のもの(dies Nichts)は、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう』」 (マックス・ヴェーバー著 大塚久雄訳「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」ワイド版岩波文庫 366ページ)

極めて抽象的な「予言」ですが、現在の社会全体を見渡した時、市場原理主義を信奉する人々やファンド資本主義に浸かりきった人々を筆頭にして、この一節は、確かに今を生きる多くの人々に当てはまるかもしれないもののように思われます。「末人たち」については、基本的には、資本主義社会の中で経済的に成功した「勝者」と呼ばれることもある大金持ちのことを本来意味するものなのでしょうが、スマートフォンでSNSに熱中している若者が無関係かと問われれば、そうでもないような気もします。しかし、この論攷がはじめて世に出たのは1905年のことでした。当時のウェーバーが、市場原理主義やファンド資本主義を、あるいはスマートフォンのことを具体的に知っていたはずはありません。では、ウェーバーは、具体的にどんな人物像を念頭において、この一節を書いたのか。このことが、私にとって、昔から気になる謎でした。というのも、このことが分ると、「無自覚に毎日を過ごしていると、はまってしまうかもしれないこの罠から抜け出すためには、どうすればよいのか」という問いに、答えが出せるかもしれないと考えたからです。

弁護士は、あるいはもっと広く、裁判官や検察官も加えた法曹は、こんな「末人」になってはならない責務があるのだろうと思います。しかし、現代という時代に生きていることそれ自体からして、よほど注意していないと、何時「末人」の末席を汚すようなことになってしまうかも知れません。こういった問題意識は、年々歳々強まってきました。ですから、冒頭のこだわりは、このところ、一段と強くなってきたのです。私としては、簡単にあきらめてしまったり、気を弛めてしまったりといったことのないようにと意を用いながら、日々、仕事にいそしんでいます。

経済学部生が法律を学ぼうとした時生じたこと

私は、弁護士を始めて30年を越えました。しかし、これまでに、どこかの大学の法学部に籍を置いたことはありません。私の経歴は、東大の経済学部を卒業し、大学院経済学研究課の修士課程を一応修了し、形式的に博士課程に1年間籍を置かせてもらい、中退して、そのまま司法研修所に入所し、弁護士になったというものでした。

私は、まだ東大に赴任して2年目の肥前榮一先生のゼミに所属し、西洋経済史とりわけ大塚史学の教えをうけ、マックス・ウェーバーのことも教えてもらいました。私は、マックス・ウェーバーの理論的な枠組みをもっと知りたいと思い、研究者になればよいのだろう、というやや安易な気持ちで大学院に入りました。ここまでは、とりたてて、これといった特色もない人生の歩みだったのですが、ある時、魔が差したというか、ふと、何か別のことをしてみようという気になりました。その時、中途半端に、司法試験というものがあるということを知ったのが、ある意味、運の尽きで、それまで、全く未知の分野だった法律の試験勉強の道に足を踏み入れることになったのです。

私は、試験に受かるために、法解釈学を一から学んでいく必要に迫られたのですが、冒頭から、一番目の、それほど深刻ではない、しかし、後になって振り返ってみると失笑ものの失敗をしました。私は、まず、「何かきちんとした書籍を読めば良いのではないか」と考えました。というのも、民法や商法の「解説書」は、当時の私には、何となく、安っぽい感じがしたからです。そこで私は、現在も名著として定評があると思いますが、当時法律学の専門書としてとても有名だった、我妻榮先生の「近代法における債権の優越的地位」や川島武宜先生の「所有権法の理論」を読むことにし、実際、読むことは読みました。しかし、この読書は、言ってしまえば、時間の無駄でしかなく、試験勉強とは、全く無縁のものでした。無縁であるというより、通読というか読破したとはいうものの、当時の私にとっては分かるところが分かったに過ぎないことを思い知らされただけだったのです。せっかく、苦労して、難しい本を読んだのに、読書の前と後で、自分の法律というものについての内在的な理解に何の変化も生じませんでした。こうした事態に直面して、ようやく私にも「そうか、アカデミックな気分は邪魔なだけなんだ」「私が、行おうとしているのは試験勉強なのだから、アカデミックな気分は、完全に捨ててかからなければだめなんだ」という当たり前のことが、腹におちて分かりました。そして、この反省を足掛かりにして、もっと、法解釈学という技術を身につけるような努力をしようと決意を新たにしました。

こうして、私は、ようやく、「基本書」と呼ばれている、民法なら民法、刑法なら刑法といったそれぞれの法律の体系書を座右に置いて、勉学にいそしむという司法試験の王道にたどりつきました。この「基本書」こそ、少し前に、不遜にもアカデミックな専門書と比べて「安っぽい感じがした」などと評した「解説書」そのものでした。しかし、実際に手にして読み進んでいくと、「安っぽい」などと評せるようなしろものではありませんでした。賢人の手による学問の薫りの高い書籍、それが「基本書」の正しい評価でした。私は、ようやく、何冊もの「基本書」に取り囲まれ、何冊もの「基本書」の中に飛び込んでいく、といった、試験勉強の外的環境を手に入れることができたのです。

ところが、「これで、めでたしめでたし」だったかというと、実は、そうではありませんでした。今度は、一番目の失敗より、もっともっと深刻な問題に、突き当たってしまったからです。

新たに、直面することになってしまった問題というのを、四宮和夫先生の法律学講座双書民法総則(現在は共同著作者として能見善久先生が加わり第8版となっていますので、以下では、こちらの新しい版でページなどに言及します)を使って、具体的に説明させてもらうと、こうなります。例えば「第4章 私権の変動」の中に「第5節 代理」という一まとまりの論稿があります。この「第5節 代理」というのは、293ページから340ページまで48ページにわたって論述がなされているのですが、私は、その内293ページから298ページまでのわずか5.5ページに書かれた「第1款 代理の意義と存在理由」は、全部ではないにせよ、おおむね、興味を持って読めました。しかし、298ページから340ページまで42.5ページにかけて続く「第2款 代理権(本人と代理人の関係)」「第3款 代理行為」「第4款 無権代理」「第5款 表見代理」には、全く興味が持てませんでした。その頃、私は、司法試験の予備校にも通い、司法試験の試験勉強をしている仲間を何人も知っていたのですが、様子を見て驚きました。彼らは、「第5節 代理」を読む時に、「第1款 代理の意義と存在理由」には、ほとんど関心を見せず、飛ばし読みして、第2款以降が「世界の全てだ」という雰囲気で、四宮先生の教科書を読み進めていったのです。第2款以降が法解釈学にとって「本文」だから、そういう読み方を、能率的な読み方だと考えていたのだと、後に知りました。

「何なのだろう。今自分が目の前にし、体験させられているのは。多分自分の方が考え方を変えていかなければならないのだろうが、どこに問題があるのか分からない。どこに問題があるのか分からなければ、本当の意味で自分を変えることはできないだろう。これは大変なことになった」と、当時、私なりに悩みました。そんな日々を送る中で、ある日、得心がいった答えが、ひらめいてきました。それは、次のような仮説でした。

① 経済学を学んだものは、社会全体の本流を捉え、モデル化して説明しようとする。この場合、モデルに合致しないものは、例外として切り捨て、その存在に関心を持たない。

② 法律学を学んだ者は、社会に大量現象として生起している、言ってみれば、健全な部分には関心を持たず、関心は、もっぱら健全な部分から逸脱した、いわば例外に集中する。そして、その関心の対象については、黒に属するのか白に属するのかが区別できて、はじめて「それ」が分かったことになる。

③ すると、①と②は、関心の対象が、真逆の関係にある。

④ 経済学部で育った自分としては、①の感性を持つ人間として育て上げられたが、司法試験の試験勉強に集中するためには、さっさと①の感性を捨て、脳をいったん白紙にして、②の発想に自らの脳を塗り替えなければならない。

今、仮に、前記の①と②の対比からなる仮説を原則例外逆転仮説と呼ばせて戴くとして、四宮先生の「民法総則」に生じた現象は、この原則例外逆転仮説の立場からすれば、「第1款 代理の意義と存在理由」が、「代理」の本流の論述で、①と親和性が強く、「第4款 無権代理」などが、②と親和性の強い、「代理」の例外的事象、病理的事象をどう整序するかについての論述だという説明になります。まだ、頭が①だった私には、第1款は興味が湧き、またある程度理解ができても、②そのもののような第4款などの第2款以降には興味を持つこと自体ができなかったと、原則例外逆転仮説なら、当時の私の違和感も、私にとって分かりやすく、説明できるわけです。

この原則例外逆転仮説を他の方々にご理解戴くのは、もともと①の感性をお持ちの方に対しても、もともと②の感性をお持ちの方に対しても、容易なことではありません。そこで、私は、この仮説を説明しなければならなくなってしまった時、川の断面のイメージを、比喩として、使わせてもらったことがあります。それは、このようなものです。

原則例外逆転仮説では、岸や川底との摩擦もほとんどなく、大量の水が凄いスピードで流れているところが経済学の対象ということになります。これに対して、水のよどんだ岸辺のあたりに着目し、どこまでが川で、どこからが岸かといったことに興味を集中する、あるいは、川底の苔に注目し、苔は川に属するのか、川底に属するのかといったことについて興味をもって論じる、というのが、法律学ということになります。中州があれば、それは陸地なのか、川の中に生じた特異な現象なのか、法律学では、おおいに議論されることでしょう。

原則例外逆転仮説に辿り着いてから後、私に、経済学部出身者であるが故に背負わされるハンディは無くなりました。幸いなことに、それから程なく、試験にも合格しました。そして、現在があることを考えると、この原則例外逆転仮説の啓示は、この仮説が客観的に正しいものなのか否かという問題より、私の人生の、転機の象徴そのものだったと、今でもつくづく考えています。